ヘンデル作曲 オラトリオ
『時と悟りの勝利』
全2部
台本:ベネデット・パンフィーリ
George Friedrich HÆNDEL(1685-1759)"Il Trionfo del Tempo e del Disinganno" HWV46a
Libretto da Benedetto Pamphili
第1部 Sonata Aria 美 真実を映す鏡よ、お前のなかに私は見る、 そう、輝くばかりのわが青春の姿を。 いつの日か私も変わってしまうけれど。 お前はいつまでもお前のまま。 お前のなかに自分を見続ける。 たとえこの美しさがいつか失われてしまうとしても。 Recitativo 快楽 私は快楽の名で呼ばれるものだ。
断言しよう、お前はその美しさを失いはしないと。美 私は美。でしたらお誓いいたしましょう、決してあなたを見限ることはないと。
もしその誓いを破ったならば、痛みと苦しみがその報いとなるのですから。Aria 快楽 憂鬱も悲しみも、決して減じることはない。 ひとつの孤独は、千の孤独を生むのであるから。 それをわからぬものは、 ただの一日の幸せも手にすることは出来ぬ。 Recitativo 時 私の名こそは時… 悟り 悟りを伴い… 時 …美とはしおれゆく花のようなもの、つまり… 悟り …一日のうちにして美しく咲き乱れ、そしてついえ去る。 Aria 悟り 美よ、お前がその輝きを失い、 哀悩し滅壊するならば、 それは二度と戻ることはない。 この世の春と咲きほこるお前の愛らしさも、 ほんの刹那のものに過ぎぬのだ。 Recitativo 快楽 それでは論戦を挑もうではないか…
誰がこの中で最も強きものであるか…快楽と…美 美と… 時 時と… 悟り 悟りのうちで。 Aria 美 快楽の一軍は私の思いによって護られ、 また別の一軍は私の傍らで戦う。 容赦なき時の流れとやらが、この私から輝きを奪い取れるものか、 ちゃんと見届けてやりましょう。 Recitativo 時 私にかかれば、太陽の巨人すら地平に叩き落されるのだ、
脆弱な美ごときが、それでも私に戦いを挑もうというのか?Aria 時 墓場の闇よ、数多の美を囲んで口を開け。 そしてわれに示すが良い、美の輝きがお前たちの暗黒の中で、 なおも生き残れるかどうかを。 否、その口を閉じよ。 あの者どもは恐怖の幽鬼、おぞましき骸、 お前の歯の隙間からあやつらを削ぎ落せ。 Recitativo 快楽 あなたの言い分はあまりに酷い。
快楽は、ただ青春の申し子に過ぎぬのに。Duo 美と快楽 なんと愚かなことでしょう、花咲ける青春を、 憂慮と苦悶で過ごすだなんて。 そんな真面目くさった考えは、 人生の玄冬のためにとっておけばいいのに。 Recitativo 悟り 死は生命の行き着くところ、それは瞬く間にやって来る。
時の流れはたやすく見ることが出来ますが、その終わりを見ることは出来ないのです。美 時など目に見えるものではないわ。
あたかも狂気の射手が放った幻の矢のようなもの。
ただそれを信じる者にとって残酷なだけでありましょう。Aria 美 時の敵意はきまぐれと貪欲、 翼と死の大鎌を与えられた。 その頑迷な支配に挑もうと、 時を時と思わぬ名案が我がうちに閃く。 Recitativo 悟り 愚かにも時を無視しようとは。時こそがお前の輝きを喰いつくしてしまうというのに。
ならば言いなさい、お前の遠祖がお前に何を残したというのか?
冷たい墓石の奥に押し込められた、おぞましき骸骨だけではないか。
年月を重ねて、いったい何が残ったというのです?
おお、浅はかな思い違いですよ!
たとえ季節は年ごとに繰り返しても、美の輝きは決して戻りません。快楽 人にとって時は常に不愉快なもの。 美 時のことなど考えないで、うまく立ち回っていれば、いつだって悦びは味わえるものよ。 Aria 時 人は生まれる、そうとも、赤子として。 時は始まる、そうだ、真白き冬のさなかに。 いっぽうは衰滅へと向かい、 またいっぽうは終末の季節の中より立ち昇る。 Aria 悟り 人は生を以て死を呼び寄せ、 季節は反復を以て永遠を得る。 季節は儚くついえ去りながらも繰り返し、 人はそこにとどまりながら二度と生きることはない。 Recitativo 快楽 ここが私の王国だ。いくつにも変化するこの姿を見よ。
見よ、バラの花を頭上に戴く彷徨う青春の群像を。
白亜の大理石に彫り込まれたその姿、まどろむそのさまを。
蔦の若葉のからむケシがその王冠だ。あふれんばかりに、
豊かなその髪はゆったりと流れ、憂鬱に白くなることもない。
ときに見てみよ、方や黒き石に押しつぶされる悲しみを。
笑みとともに、その唇の上で、栄えある青春が奴にとどめを刺す。
そしてその傍らに寄って、誇らしげにこの王国の門を護りながら言うのだ。
「去れ、蒼ざめた知恵よ、二度とここへ戻って来るな!」と。Sonata Recitativo 美 静かに!あれは何の音かしら? Aria 快楽 憂いなき青春は、完全な悦びを知る、 そうとも魅惑の奏楽のうちに。 そして新たな趣とともに、この耳の愉しみを見出すのだ。 Recitativo 美 その手は翼を持っているわ、それどころか、この世のあらゆる偉業を超えたものを。 Aria 美 時がやって来る、そのおぞましい翼に乗って、 悦びに輝く草原の草を押し倒しながら。 でもやがて眠りにつき、あるいはその爪を失うでしょう。 そうよ、どんな助けも意味はない、 本物の命を生きようとしないのならば。 Aria 悟り 人々は信じ込んでいるのです、 時はその目に見えぬ羽根を伸ばして休んでいるらしいと。 けれどもこっそり襲い掛かってこられれば、 勝負は明らかだと知らねばなりません。 Recitativo 時 お前は私がまだはるか遠くにいると思っているな。
もうこんな近くまで来ているというのに。美 快楽よ、私はあなたが信じられなくなってしまったわ。
あなたはいつも私と一緒にいるけれど、なぜかとても不安なの。
私のそばには、必ず時と悟りの影がある。時 我が王国はこの大地全体を包みこんでいるぞ。
私に会いたくないと願うならば、天国に自らの祝福されし場所を得ることだ。
そこは常なる勝利の場であり、私もまたそこへ至ることは出来ぬ。
私の言うことを聞け。快楽がお前をそそのかし、後になって悔やんで私を呼んでも、
私はこう答えるしかないのだぞ「お前の願いを聞くことはもう出来ぬ」と。Aria 時 愚かなる者よ、お前はこと自分自身に限っては、時が流れぬとお思いか? 大海原、続く山なみ、うねる河であろうと、 固き岩山、その中までさえ、あるいは驚愕に満ちる恐怖さえも、 未開の地の原住民の穴ぐらにでも、 この私は踏み込んで行けるのだ。 Recitativo 悟り とうとう快楽がやって来たぞ… 時 では歓迎してやろうではないか、ようこそ真実の王国へ。 Quartetto 美 あなたが苦しみの使者でないのなら、 本当の悦楽に出会うため、 あなたの導きに従うことにいたしましょう。 快楽 花咲けるこの道を逸れてはいけない。 あなたはいずれの道が正しいのかを知らないのだから。 時と悟り もしお前がほんとうに快楽を賞賛するつもりなら、 どうして破滅の鏡から逃れようとしているのだ? 快楽 私は本物の悦びを与えよう、そうだとも、英雄とやらのために作り出された、 気まぐれで実体のない幸せなどではなく。 第2部 Recitativo 時 お前が見ているものは、快楽とやらの偽りの姿なのだ。
今度は、私が真実の本当の姿を見せてやろう。さあ、よく見るが良い。
お前は眼にするだろう、まだ美しいのに、彼女が自分自身を飾ろうとなどしないことを。
白き装束を身にまとい、永遠の太陽のほうを向いている。
その姿は、偽りなき眼差しと祈りを以て、嘘とまことを峻別することを望んでいるのだ。Aria 快楽 閉じよ、お前のその愛おしい瞳を。 その思いを他へと向けてくれ。 さもなければ、お前は終わりのない悲しみに沈み、 二度と悦びにまみえることがかなわなくなるぞ。 Recitativo 時 お前には3つの道がある。過ぎゆく時を前に、よく考えるのだ。
神聖なる力を拒み、己の浅はかさに沈んでゆくのか。
生れ来たものはいずれ死にゆく、不透明なヴェールの背後のその未来を見ぬふりをするのか。
お前の瞳が、希望と善き業へと開かれた道を見出すことが、本当に出来ないことなのか。Aria 美 私は望む、真実のなかに悦楽を見出すことを。 悦びは、それでもそのなかにある、と信じているのだから。 そうよ、この辛い運命は、私を嘆きの景色で満たす。 そして色褪せ、消え去っていくの。 Recitativo 快楽 悲しみのなかに生きるのなど、やくざなことじゃないか。
私のことを見て、呼びかけるなら、もう私はそこにいるのに。Aria 快楽 お前は誓ったはず。決して私のそばを離れることはないと。 そうすれば悲しみも報いとなることはないと、わかっていたはずなのに。 もしお前がもう私を愛さないと心に決めたのなら、 誓いを欠いた者への罰を思い知るだろうに。 Recitativo 時 太陽の光を弱々しく見つめる者よ、その輝きに堪えることが出来ず、
自分の落ち度のゆえに太陽を非難するのか。
お前は何を心に留め、何を思うのか?Aria 美 私の胸は二つの心に引き裂かれているわ、 ひとつは悔悛に向かう心と、もうひとつは悦楽に傾く心と。 悟り では聞きましょう、悦楽をは何なのか? 美 悦楽、それはきっと私の心をうっとりとさせてくれるもの。 そしてその後で、後悔を連れて来るもの。 Recitativo 悟り 私は言いましょう、お前は真実の鏡を前にして、自らの眼を閉ざしてきたと。 美 私は恐怖に打ちひしがれて瞳を閉じました。
この美しさと愉悦とを、ともに失うのが怖かったのです。悟り 霊魂は、地上の儚い存在以上に美しく、世界中の愉悦よりもすぐれて心を充たすものなのです。 Aria 悟り 抜け目なき視線を以て山の頂より見おろす者は、 暗き谷間に気をとめることはない。 なぜならそれがとても疎ましいものに見えるから。 ひとたび過ちを厭う心となったならば、 心はその誤りを忌むようになろう。 Recitativo 時 確かなる導き手を無視するのは取り返しのつかぬ所業だ。
道を見失い、彷徨っているというのに。
時はお前とともにあり、そして忠告しようぞ、天国はすぐそこだと。Aria 時 愚かなる舵取りよ、彼方に迫る嵐が見えるのに、 どうして針路を変えようと思わぬのか。 海原をすべる美しき船よ、 戻れ、戻るのだ、間に合ううちに、港へと。 Recitativo 美 あなたが語ったことは本当だった、でももう遅いわ。
真実を知ることが出来たけれど、惨めな後悔とともに苦しみが拡がるの。
行く道を変えたい、でももう無理。Quartetto 美 時よ、私に与えて、決心するいとまを… 時 時はお前とともにあるぞ… 悟り そして忠告もまた… 快楽 けれどもその忠告は苦しみに満ちたもの… 時 時がお前を廃塵に帰してしまわぬうちに、 正しき道へと進むのだ。 悟り 危地より逃れなさい。 快楽 自分の気持ちに正直なれ、今なら間に合う。 美 時よ、私に与えて、決心するいとまを… Recitativo 美 快楽の住む場所の傍らに、庭園がありました。その空気はとても重苦しく、
そこでは黒い川がどろどろと流れて。
教えてほしいの、この川は何処から流れてきたのか?悟り よく聞きなさい、それは後悔の世界にある涙の池から流れて来たのです。
その水は、愚かな恋人たちの深く思い嘆きで出来ている。美 それで、その涙の川もやがては海へと届くのでしょうか? 悟り 流れはやがてその路を失い、砂に呑まれてしまうでしょう、
何故ならその川は自らの行くべき場所と、そこへ至る正しい道を忘れてしまったのですから。美 それでは、流された涙は? 悟り それは初めは卑しきものであっても、天国に至れば真珠の如きものとなるでしょう。 Aria 快楽 棘は棘のままで、そのバラを摘み取ればいい、 お前が痛みを求めたいのなら。 白々と心を覆う霜柱は、 誰もそうとは知らぬうちに広がってしまうというのに。 Recitativo 美 やっと分かりました。真実が私を呼んでいること、思いやりに満ちたそのご忠告のことが。
もう一度、私に光を見せてください。快楽 だからそれはここにあると。 美 さようなら、快楽よ、これでお別れだわ。 Aria 美 行くべき道を変えましょう、 私は思う、後悔は先には立たないと。 私が消え去っていくそのときに、 己のもはや持たざるものを、 神様に残しておきたくはないのです。 Recitativo 美 あなたは私のこの手のなかにある、不滅の真実を頂いたこの手のなかに。
そしてあなたはこの手から滑り落ちて、もろいガラスのように地の上で砕け散るのだわ。快楽 よせ、やめてくれ! 悟り さあ、どうするのです? Aria 悟り 身の程知らずにもいい気になっていた、 けれどもこうして地に落ちるのです。 あの者は大いなる破滅を迎えるでしょう、 ユリとバラを操り、数多の欺瞞をでっち上げ、己を嘘で飾ったのだから。 Recitativo 美 私は何を見ているのかしら、この目の前にあるものは何?
自分が美しいと信じていたけれど、この金色にふさぶさとした髪も、
今では不恰好に思えてくるわ。
毒蛇の群れのような後悔と恥辱がこの胸に湧いてくる。
わが悦楽よ、そうです、今こそ地に落ちてゆきなさい。
見てくれだけの垂れ髪よ!今日こそこの思い違いを終わらせるわ。Aria 美 重き荷を載せ海を行く船、 黄金、宝玉を投げ荷しながら波間をすべる。 何故ならそれが一番の重荷だから。 捨てるべき宝を見つけよ、この船に要らぬ宝を。 慈悲なる天国へと至るために。 Reci.accomp. 美 そうです、これが美しき懺悔。
後悔と苦き涙の間に、馬毛で編んだ衣鉢をお与えください、
そして花々を投げ捨てる間に、その棘をお与えください。
砂漠の如き荒れ地にあって、私はひとり生きてまいりましょう。
そうです、嘘にまみれた亡霊として、魔物たちに囲まれながら。Duo 悟りと時 悟りに導かれた美しきその涙よ、 光り輝き、すべての花に勝る真珠の如きもの。 だがそのすすり泣きの湿っぽさは頂けぬ。 お前の心はすでに浄まっているのだから。 Recitativo 美 快楽よ、あなたは常に私の近くにいたわね。
このガラスのような己の姿を、いま一度見つめなおしなさい。
そして私のもとを去ってほしいの。あなたが生まれた忌まわしい場所へと去って頂戴。
あなたと、いつ、どのように出会ったか、もう思い出すこともない。
あなたとの思い出も、あなたの名前さえも。Aria 快楽 風に流される雨雲のように、 私はお前のもとから去ってゆこう。 怒りと恨みに駆られながら。 そうとも、嘘とごまかしがわが唯一の糧。 そんな私がどうして真理に生きられよう? Recitativo 美 愛と善に至る真実の路を開く天国の叡智よ、
どうか聞き届けてください、天の使いよ、この私の嘆きを。
もしも真実なる永遠の太陽が、消えることなき光を運んで下さり、私を照らして下さるならば、
私の善きおこないが、この大いなる望みに合致するよう、お取り計らい頂きたいのです。Aria 美 選ばれし天の使者よ、 あなたはもう見ることはないでしょう、 私のなかにあった、不実な欲望、虚しき情念を。 でも、もし私が真実に背きそうになった時には、 わが心の守護者となって、連れて行ってほしいのです、 この私を神様のもとへと。 終わり 表紙へ戻る (原文イタリア語)